大ヒット上映中!の映画、「AI崩壊」を鑑賞してきました。
ストーリーにはあまり触れませんが、ネタバレ要素を含みますのでご注意を。
のっけから正直に言ってしまうとこの映画、タイトルやキャッチコピーをはじめ、ポスターのビジュアルなど、どこを取っても鑑賞前に心踊らされる要素が個人的に一切なく、
イメージ的に類似作を挙げるとすれば、
この分類(観てないのに申し訳ないんですが、、)の、「ビッグネームばかり起用するせいでキャスト見ただけでなんとなく展開が読めてしまう系」のジャンル分けをしていました。
「AI崩壊」もやっぱり、ポスター見ただけで「犯人どうせコイツかソイツだろ」って匂いがプンプン。
でも! 逆にそこをミスリードに使うって手法ももちろん使えるので、鑑賞前にあまり決めつけ過ぎないよう気を付けていたのは事実です。
もくじ
AI監修の顔ぶれはガチ
そして、わたしが映画館まで観に行った最大の要因は、AI監修のクレジットに名を連ねた方々の豪華さです。
- 松尾豊 教授(東京大学大学院 工学系研究科)
- 松原仁 教授(公立はこだて未来大学)
- 大澤博隆 助教(筑波大学 システム情報系)
しかも事前に読んだ記事でも、
北島直明(プロデューサー)コメント抜粋
大沢たかお、賀来賢人、岩田剛典らが入江悠の新作「AI崩壊」で共演
〜日本を代表するAI研究者の方々への取材を何度も行い、20稿を超える改稿を重ね、「藁の楯」を超えるアクションと「22年目の告白」を超えるヒリつく展開の脚本が完成しました。〜
というわけで、「第一線の研究者が監修したAI技術の未来像を見られるぞ!」という期待がわたしを映画館に向かわせたのでした。
ところが、
待っていたのは「AI以外崩壊」

わかっています。
この作品は、最新のAI技術、そしてその開発と並行して考えねばならない倫理の問題、テクノロジーに依存してしまう恐しさ、こうしたことを分かりやすく伝えるために制作されているのだということ。
その実現のために、AIなどの知識がまったくない人も楽しめるように作られたエンターテイメント作品であること。
わかりますよ。百も承知で観に行ってますよ。でもさ、
それ以外の要素、ずさん過ぎるだろ!!
そもそもこの作品、本編が進行する舞台は2030年の設定なんですよ。
で、未来のことは誰にもわからないとしても、劇中の描写が全然2019年!
もう2020年ですらない。
テクノロジーの魅せ方は悪くないのに!

わたしが気になり過ぎたポイントを書き連ねる前に、先に断っておきますが、
この映画、監修陣の鉄壁ぶりもあってか、AIが実装された世の中の魅せ方自体は悪くないと思うんです。
デバイスとか、自動車、ナビゲーションシステムはけっこうリアリティがあって、ウェアラブル機器が普及しているとか、自動運転車が田舎にまでは浸透していないとか、あんまり突拍子も無い未来を描いても想像しづらくなるだけなので、抑制が効きつつもちゃんと未来に見えるんです。
しかし一方で、それ以外のアイテム、キャラ設定については、こちとら素直に2030年のモードで観るんでめちゃくちゃ古臭く見えるっていうか、そんな未来は嫌だ感がすごいんです。
これから挙げるポイントは本当に、揚げ足とってやろうみたいな根性で観ていなかったのに、鑑賞の最中から気になってしまった事柄です。
それではまず、
「崩壊ポイント」その1.刑事

やっぱりいるんですよ。
経験と勘だけを頼りにするベテラン刑事。
(もちろん、演じている方は完璧な仕事をされていると思います)
いや、たとえ10年後だとしても、そうした第六感や経験則のような部分で独自の捜査ができる刑事さんはいてもおかしくないと思うんですよ?
ただ、あまりにも振る舞いがステレオタイプ。
10年後においても「脚つかえ、脚!」みたいなセリフにはどうしても違和感あるし、定年前のベテラン+勢い任せの新人のコンビって、、それまだやりますか……。
それにもし、そういう人が捜査で実績を上げていたなら、真っ先にAI捜査システムにそのノウハウを学習させたいくらいだから、むしろ一目置かれててもおかしくないはずなのに、単に「勝手な動きする奴」みたいな扱いが気になります!
「崩壊ポイント」その2.名刺
ごく当たり前に紙の名刺を差し出すシーンが登場しますが、これどうでしょう?
百歩譲って、2030年に名刺が消えて無くなっているかどうかは微妙なラインだったとしても、わざわざ登場させる必要ないですよね?
ってことはつまり名刺がキーアイテムじゃん、よりによってなんで名刺をキーアイテムにしたの!? アナログ万歳?? という深読みが鑑賞中のノイズになってしまいました。
(そして個人的に名刺交換という儀式はさっさとなくなって欲しいと願っている側なので、余計に)
「崩壊ポイント」その3.報道陣たち

劇中、大勢の報道陣が事件の当事者を取り囲んで写真を撮ったり、コメントを聞き出そうとする、絵に描いたような取材シーンがあるんですが、その記者ほぼ全員がデカい一眼かまえて、フラッシュたきまくって撮影しているわけです。
こんだけスマホのカメラ性能が向上していて、デジタル加工の技術もどんどん進んでいるところに、「これが10年後の未来だ」って提示されても全然ピンときませんよ。
逆にデジタル画像だといくらでも捏造できてしまう時代だから、フィルムカメラじゃないと裏付けとして無効とか、そういう一周先回りした設定だったら謝りますけど!
未来を魅せるのはAI以外
ここで対比として、同じ人工知能と人間との物語として挙げたいのがコチラ。
『her/世界でひとつの彼女』(原題:her)
2013年の作品です。この作品が素晴らしいのは、ストーリーはもちろんですが、観客にとってリアリティある未来を描くための努力を惜しんでいない点にあると思います。
劇中の、主人公セオドアは『手紙の代筆』を職業にしており、
たとえば、関係性にマッチする気の利いたユーモアや、子供らしい不完全な言い回しなどはAIには再現できないため、セオドアが顧客の代わりに創作して代筆しています。
また、セオドアがカード型の小型デバイスを胸ポケットに入れ、恋人であるAI・サマンサに世界を見せる場面がありますが、そのままだとデバイスがすっぽりポケットに収まってしまうので、胸ポケットの中程を安全ピンで止めてカメラだけ外に出す工夫をしたり。
サマンサは肉体を持たないので、なんとか物理的にもセオドアと繋がろうとする、その手段であるとか。
誰も見ることができない未来のはずなのに、まるでタイムマシンで見てきたかのような、リアリティのある世界を魅せてくれます。
つまり、観客に未来をリアルに感じさせるには、「今と違う使い方をされている今あるもの」を未来において描くことで納得感が出てくると思うのです。
"現在"の中で、AIだけが浮いてしまう

一方「AI崩壊」では1.〜3.であげたような、「今あるものを今とまったく同じ使い方をしている」未来のため、たとえAI技術や端末だけを未来の形にしたところで、未来を描いているように見せることは難しいのではないか、と思うわけです。
少なくともわたしの目には10年先の未来の日本ではなく、「テクノロジーだけが進んだ現在の日本」という見え方だった。
(これ、「テクノロジーの進歩に置いていかれる日本人」みたいなメッセージが裏にあったら結構こわいんですけど、あながちそんな未来の方がリアリティあったりして……)
ただ未来を描くって、まさに人間の想像力そのものが表現される部分であって、他人のとんでもない想像力を魅せられるのって、単純にすごく楽しい体験だと思います。
そういう意味で、AIと共存する未来を想像する助けにするための映画を選ぶならば、わたしは断然「her」を推します。
5年以上前に制作された作品だとしても。
「AI崩壊」のテーマは"未来を描くこと"じゃない
で、どちらかと言うと「AI崩壊」は最新テクノロジー要素はつまみ食い程度で、
「命の選別」というところにフォーカスした作品という見方をする方が正しいのではないかと思います(正しいも何もありませんが)。
そもそも「命の選別」という、相模原の凄惨な事件を連想させるようなコピーを使っていることからも、監督はそちらのメッセージに本来は注力したかったのではないか、と鑑賞後に考えたりしました。
「エンタメ映画だから仕方ない」は悪

正直、ネットフリックスやYouTubeで質の高いコンテンツがいくらでも観れる現代において、「エンタメ映画だから分かりやすく作ってるよ、わかってね!」は通用しないと思うんです。
実際「AI崩壊」も、公開3日目のイオンシネマサービスデーに観に行きましたが、お客さんは5人でしたよ(平日の朝一、そして地方なんで参考動員としても)。
通用しないっていうか、もはや人間の想像力を過小評価してるってレベルなので、今後はネームバリューのある監督だろうが、「観客に甘えたエンタメ志向映画を一本でも作っちゃったらキャリアに傷」みたいな風潮にもっとしていくべきだと、少々過激な意見だとしてもあえて言わせてもらいたい。
もちろん、多くの人にわかりやすく、親切に描いた結果だとは思うんですけどね。
画像認識技術の使われ方や、IoTという観点で、生活に溶け込んだカメラやセンサーが今後どのように存在感を持ってくるかを想像をするには、良い参考になるのではないでしょうか。
最後まで読んでくださってありがとうございました。